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アジアの民族衣装は、貫頭衣から発祥して袖のついた形式のものと、巻布衣の形式のものとがある。日本では、3世紀に記された「魏志倭人伝」を見ると、倭の女王・卑弥呼は貫頭衣を着ていた。このように日本がまだ貫頭衣程度だったのに対し、当時の先進国中国ではすでに、現在の日本のきものに酷似した袖のついた衣装があった。 古代中国の肖像画を見ても、衿や袖を持った衣装が存在していた事がわかる。 たとえば夏の国の禹王は4000年前の人だが、きものを着ている。商の湯王、孔子、孟子、屈原の像など、いずれも斜めの衿あわせに広い袖、前あわせを押さえる帯などをしていて、今日のきものの原形が、すでにこの時代にあったことがわかる。 日本のきものも中国の古代の衣装を真似たように、この形式は、近隣諸国に影響を与えている。それは韓国、ブータン、ベトナムなどだ。特に中国各地に住む少数民族の衣装は、その衿あわせが共通している。その一方で、サロンの存在だ。サロンは巻き布衣。布を腰に巻くものだ。インド、インドネシア、マレーシアなどにその流れがある。インドのサリーは巻布衣がその着装の技術を得た優雅な衣装だ。しかし、インドネシア・マレーシア・タイなどのサロン・カバヤは、そのサロンの部分が巻布衣からスカートの形式に変わりつつある。巻くことのみで身体にフィットさせるのはむづかしい。ゆがんだり、ほどけたりする。だからそれを今日はスカート状に仕立てて着用している。
そして、インドネシアの小スンダ列島には、筒状の衣装、ロウがある。これは、日常着として着用されている。また、インドは多種の民族が共存し、その民族の伝統の衣装は驚くべき細かい刺繍やミラーワークで加工されている。インド北部では泥ざらしの技術が昔ながらに見られる。アジア各地で、天の恵み、地の恵みが衣装の中に生きている。(「世界の衣装をたずねて」市田ひろみ著引用) |
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